月別アーカイブ: 2017年10月

さいきんヒップホップで「プルルル!」みたいな合いの手いれるのはやってるんですか。

「超ドリーミー」と評されていた曲がそれほど(というかほぼまったく)ドリーミーではなかった。

ぼくは音楽をききながらけっこうこくめいなメモをつけているのだけど「これ、あんまよくない」の符牒としてしるしたバッテン印がふされたものをあらためてききかえしてみると「あれ、これけっこういいじゃん」とおもうことがそれなりにあるので一回かぎりの印象なんてかなりあてにならない。

ほぼすべてのことをめんどくさいと感じるけれどさいわいなことに生きていることはそれほどめんどうに感じない。

大義として A ということを主張しても個人的な行動原理としては -A を採るということはじゅうぶんにありうる。

たんじゅんに言えば「おもしろい」と思ったことも「それはなぜおもしろいのか」を考えはじめるとそのおもしろかったはずのことがだんだんおもしろくなくなってくるのでそもそもはじめに感じた「おもしろい」で話をすまそうぜということだ。

(もちろん「なぜおもしろいのか」を考えれば考えるほどそのおもしろさが増してくるといったおもしろいことというのも存在はするのだろうけどそんなものはほとんどなきに等しいように思われる)

(ただ「なぜおもしろいのか」を考えるとそもそものはじめに感じたおもしろさは減衰するけど「なぜおもしろいのか」を考えること自体が当初のおもしろさをこえるということはあんがいあるような気がする)

ここで言われていることはすべて「現代フランス思想入門」というような本のだいたい30ページ目あたりに書かれている。

「思考の外部」みたいなことを問題にしたいのであればアルトーなんかよりもユクスキュルあるいは端的に虫を参考にしたほうがいいような気がする。