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二項対立になずむのは怠惰であるのかもしれないけどそれに異を唱えるのも陳腐であってさりとて n 個のなんちゃらとか言い出すのもかったるいのでこのまま突っ走るしかない。

「感じたこと思ったことをそのまま言って何になるのか」と思ってしまう時点で「外部」に足もとをすくわれている。(が同時にそれをそのまま言っている時点で「外部」の足もとをすくっていると言えなくもない)

何が言いたいのかというと自分が感じたことというような即自的即時的ことがらでもそれを「外部」から眺めてしまい結果何も言えなくなってしまうというごく詰まらぬことなのだけど。

「外部は内部である」という言明にはでっちあげられた過去をでっちあげと知りながらそれでもそういうものに対して抑えがたく感じてしまう郷愁に似た退嬰的な甘美さがある。

「外部は内部である」的視点あるいはそうした視点への志向とは排除の身振りがその排除しようとするものをそもそも前提としているあるいは呼びこんでしまうということでぼくの望むのは端的な「いまここ」一元論であってみればそのような「翻って見れば」的思考志向指向嗜好には反旗を翻すべきだ。

とも思われる。

「外部は内部である」という視点あるいは視点への志向がぼくにはあるのだけどそんなものはいますぐにでも棄てさられるべきだ。

ぼくは猫をそれなりに好きだけど根っこでは「猫なんてしょせんそこらを飛んでいる蛾をぺろっと食べたあとに白目をむきながら舌なめずりするような生きもの」という線を出ない。