ほぼすべてのことをめんどくさいと感じるけれどさいわいなことに生きていることはそれほどめんどうに感じない。
投稿者「t_hayashi」のアーカイブ
大義として A ということを主張しても個人的な行動原理としては -A を採るということはじゅうぶんにありうる。
こういう「おまえは何を言っているんだ」という言葉の羅列はわるくない。
たんじゅんに言えば「おもしろい」と思ったことも「それはなぜおもしろいのか」を考えはじめるとそのおもしろかったはずのことがだんだんおもしろくなくなってくるのでそもそもはじめに感じた「おもしろい」で話をすまそうぜということだ。
(もちろん「なぜおもしろいのか」を考えれば考えるほどそのおもしろさが増してくるといったおもしろいことというのも存在はするのだろうけどそんなものはほとんどなきに等しいように思われる)
(ただ「なぜおもしろいのか」を考えるとそもそものはじめに感じたおもしろさは減衰するけど「なぜおもしろいのか」を考えること自体が当初のおもしろさをこえるということはあんがいあるような気がする)
ここで言われていることはすべて「現代フランス思想入門」というような本のだいたい30ページ目あたりに書かれている。
「思考の外部」みたいなことを問題にしたいのであればアルトーなんかよりもユクスキュルあるいは端的に虫を参考にしたほうがいいような気がする。
二項対立になずむのは怠惰であるのかもしれないけどそれに異を唱えるのも陳腐であってさりとて n 個のなんちゃらとか言い出すのもかったるいのでこのまま突っ走るしかない。
「感じたこと思ったことをそのまま言って何になるのか」と思ってしまう時点で「外部」に足もとをすくわれている。(が同時にそれをそのまま言っている時点で「外部」の足もとをすくっていると言えなくもない)
感じたこと思ったことをそのまま言うレッスン。
何が言いたいのかというと自分が感じたことというような即自的即時的ことがらでもそれを「外部」から眺めてしまい結果何も言えなくなってしまうというごく詰まらぬことなのだけど。