「外部は内部である」的視点あるいはそうした視点への志向とは排除の身振りがその排除しようとするものをそもそも前提としているあるいは呼びこんでしまうということでぼくの望むのは端的な「いまここ」一元論であってみればそのような「翻って見れば」的思考志向指向嗜好には反旗を翻すべきだ。

とも思われる。